自分的にもっとおどろいたのは、このニュースをおとといあたりの某仏新聞で小さい記事になってて、そこではじめて知ったんだけど、そこに l'animateur s'est (un peu) moqué de ce japonais (ひとんちでみたから、原文がないけどとりあえずこんなかんじで)とあったこと。なにこのアンプーは。ちょっと被爆者を馬鹿にしたらナショナリストな日本人たちが大騒ぎしているみたいなかんじじゃんか。ホワイトトラッシュの発言だったらまだしも、グランゼコールでたようなエリートジャーナリストがアンプーってつけたす意義が私には読めない。こっちのほうがよっぽどショック。チェルノブイリで被爆した人達を馬鹿にしちゃいけないでしょ。(大体馬鹿にする理由がいっさいない。)それとおんなじです、りべらしおんさん。
イギリスのこの番組にはショックうけたし、悪い印象はぬぐえないんですけど、でも私の今年封切られた映画ベスト10(2011年始まってまもないけど)は、もちろんマイクリー最新作と、あとマイケル・ケイン主演のハリーブラウンです。私的にはハリーブラウンがナンバーワン。フランス人の批評家たちが「ファッショ、ファッショ!」と叫ぶ理由がわからん。あの若者達は悪魔だろうが。で、白人のおじいちゃんが、若いホライトトラッシュ(ここに人種があまりかかわってないのがこの映画のいいところ。イギリス人対イギリス人)に一人でたちむかうのが何がファッショだ。西部劇みるたびにファッショ、ファッショいってたらきりないだろ。戦争映画つくれないだろ。とにかく「いまそこにある敵」に一人でたちむかうっていうのがベースであり、若者皆殺しがテーマじゃないですよ。で、マイケル・ケインのキャラクターが海軍にいたとか、そういうのがフランスアンテリゲンチャ的にはダメダメ要因なんだろうけど、私的には「つーか、海軍にいたっていうのをそのまんま信じてるの?」という見解。マイケル・ケインがハリー・なんとかっていう名前で再登場するってことは、大概のイギリス人にとってはかつての女王陛下のスパイのハリー・なんとかを想像すると思うんですよ。スパイが「自分がスパイだった」って過去のこと話さないと思うんですよ。「海軍にいた」とかなんとか取り繕うはず。一緒に見た人に「でも、海軍のメダルとか、そういう過去の写真があったじゃないか!」っていわれたけど、イギリス諜報局なんて、当時からフォトショップ級の写真修正マシンがあったにきまってるじゃないですか!「ちょっと想像しすぎ」といわれてしまいましたが、でもこの映画に関しては私のほうが正しい!
あと、マイケルケインが出演してるから、グラントリノみたいだけどB級映画とかっていうの間違いです。マイケルケインはいつもサード級の役しか演じてないとかほざく若い批評家もアウトです。マイケルケインはイギリスの大スターです。ショーンコネリーのマウスパッドはないけど、マイケルケインのマウスパッドはたくさん!ジェラールドパルデュー級の大スターをビス扱いするとは。。ビス嫌いじゃないけど、この定義は間違っている。フランス人、「アンプー」発言といい、頭はかなりいいはずなのに、なにかが間違っている。(問題すりかえたいわけではなく、あのBBCの頭悪い番組は、もちろんりべの「アンプー」発言なんかより重大っていうのは議論の余地ないです。)
前にバス待ってたら、若者が「あのストーンズのドキュメンタリーってないよなあ。」「ひどいよなあ。」「全然おもしろくなかった!」っていってて、「まあゴダールは君たちには難しいよな」って心の中でつぶやいたら、実はそれはゴダールのほうじゃなくてスコセッシのほうだということが、会話をおうごとに解った。もうそれだけで、なんだか自分が老けた気分。さらにそれに追い討ちをかけるように「大体、ローリングストーンズ自体が年寄りだし」みたいな方向に会話がいっていて、「だったら見に行くなよ!」と切れそうになった。こういうときはハリーブラウンみたいに若者を成敗したい気持ちになる。
だから最近の人はこういうこと話さないと思うんですけど、私は「ストーンズかビートルズか?」みたいな昔から存在する議論をすることがあります。「ぼくはビートルズ派」っていわれても、別に傷つかないしビートルズはそれなりに好きだし、「ふうん」と聞き流せます。別にストーンズ信仰に勧誘するわけでもないです。
シネフィルの間にも、どうやら同じ議論があるようです。「ヒッチコックか、ラングか」みたいな。ヒッチコックとホークスとは違って、どっちも好き!っていうのはいけなくて(←と人にいわれた)、選ばないといけないみたいなの。ストーンズかビートルズみたいに。ラングも好きだけど、集団心理とか、なんかそういうの好きだけど毎日みてたら疲れるし、ヒッチコックはエレガントだし、美人ばっかりでてくるし、スタッフにはイーデスヘッドが常駐してたっていうだけで20点は上がるので、私は当然「ヒッチコック派かなあ」といったら、ラング派の人に「うへえ!これだからおじょうちゃんは。。。」みたいな感じであしらわれた。どうやら前に某映画雑誌(季刊で毎号800部売り上げ)では、「やっぱりラングが一番」という結果になったらしい。ラングのほうが純粋なアーティストらしい。どうにも腑におちなかったものの納得したようにみせた。(というか異論をぶつける頭と能力があまりない)
ラングがいいなあとおもうのは、頭のいい人達の学問の種になっている、そういう人間の闇とか暗黒世界を見せた映画(もいいんだけど)をみたときじゃなくて、la femme dans la lune とか、最後の(遺作?)インドでくりひろげられるセンチメンタルすぎる冒険物を見たとき。本当はとっても生まれたばかりの子供みたいな感情を持ってた人なんだなあと。「好きなものは好き」とかくさずにいう登場人物たち。好きなものがあれば幸せみたいな感情をもつ人物たち。こういうのみると、ラングって繊細でいいなあと。
で、ある時期、映画をみるたびに「まあ、これはラングには及ばないけどいい映画だ」としょちゅういわれていた。これなんかはいいほうで、彼が気に食わない映画だと「まあ、これはラングじゃないしね。」みたいな。その評価が私は大嫌いで、でも「やめて!」とはいえずにそのままに。でもあるとき、例のストーンズvsビートルズみたいな話題になったとき、「ぼくはビートルズ派」といわれたので、「映画だとラングが好きなのに、音楽だと王道のビートルズがすきなのね。私的にいうと、ラングはストーンズです。とってもワルっぽいのに、実はとっても誰よりも繊細で弱くてルビーテューズデイだの、インドの冒険話だのとかそういうのつくっちゃうの。ビートルズはヒッチコックで、王道で、みんなにわかりやすいというか、直に感情に触ってくれるような映画とか音楽つくるの。」といったら、思いのほか納得してくれた。
で、私の思いをくみとったからか、本人の中で何か変化があったからか、「ラングには及ばない」という表現をいっさいしなくなった。ある時期から「ラオルウォルシュには及ばないね」にかわった。そのほうがよっぽどいい感じ。(ストーンズ派が悪いとかじゃなくて。私はストーンズ派にはかわりないんだけど。ラオルウォルシュだと、キンクス派みたいな?ちがうか。)アンテリゲンチャのパンテオンすぎない(けど偉大な監督!)を挙げるほうが、よっぽどかっこいい。でも最近は、シネマテークでヒッチコックがあるからか、原点回帰からなのか、「まあヒッチコックが映画館でかかってるから安泰だね」みたいなこともいうようになってきた。「ラングには及ばない!」から、ずいぶん変化したなあ。私的にはうれしい変化なんだけど。
いいものは、いいんです。
いい忘れたけど、マイクリーの新作はとても良かった。小津好きっていう監督だと、どうしても小津みたいな構図つくったり、カメラうごかなかったり、家族ネタでたんたんとしてたりするんだけど、そういうこと一切しないで小津みたいな作品つくれるのってやっぱりすごいなあと。実によかった。季節のうつろいとともに、色濃くなっていく、あのせつなさは実によかった。