dimanche 24 avril 2011

イースターとはいいつつも

しかしながら、アメリカ人でもなく、仏教系の家庭に育って無宗教の私と、細かくいえばユダヤ系にあたるけど全くもって超無宗教の友人にとって、映画で見るようなイースターというお祝い雰囲気には一切ならないのであった。でもチョコレートもらえてラッキー!カフェもたまごが一杯かざってとてもあってかわいかった。街が活気付くのはいいことだ。

何にもないような辺鄙な田舎で、スーパーマーケットとか薬局とかキオスクとかも見当たらないでショック受けているときに、教会でもみつけようなものならば「ああ、これでミサに行けるわ!私には教会さえあればそれで十分なの!ほかには何もいらないの!」とわざとらしくいうのが好き。しかし教会もないような田舎になる(歴史的にカトリックだから大体の場所に教会がある)と、そうとう辺鄙な地域なんだろうなあと実感する。実際、そういう場所にいっていろいろないみでおどろいた。なんにもない。ホテルとそれに付随するカフェが一件。しかも9時には余裕でしまる。パン屋もない。隣町までいかないとない。ikzoの「おら東京さいぐだ」のラップ部分のような状態。いってみればフランスの地方の市町村の大きさをはかるバロメーターみたいなものですな。教会の前にはタバコ屋とカフェとパン屋があるっていうことが。くりかえしますが、当方、無宗教です。しかし田舎で教会みるとほっとします。とりあえず人が住んでるっていうバロメーター。