新聞とか読んでて、水掛け論というか、問題起こした人も、それに反応した人も、どっちもどっちなレベルだなあと思うときがよくある。「水掛け論ですね」とさらっと仏語でいうよりも、私的にはどうしても日本語特有の言い回しをしたい場合、そのまんま直訳していってみる。「こういうのを、日本語では目くそ鼻くそを笑うといいます」って。その後「つまりは両者とも同レベルっていうことです。どっちもどっちっていうことです。」と説明してみる。「それはいい表現ですね」といわれたので、最近はけっこう繰り返して使っている。
あとは他人のギャグとか言葉遊びが良かった時に、「シャッポー」というべきなんだけど、大喜利が好きなので「座布団一枚!」と仏語でもいいたい。なので迷うことなく直訳してみて、「日本にはこういう伝統的なテレビ番組があって、ギャグがきいてるときとか座布団を一枚もらえて、10枚になったら賞品が出ます」みたいな説明をしてみた。「へえ」と関心の意を受けた。それ以来、なにかある(ギャグとかきいてるときです)ごとに「座布団一枚!」と仏語でも言ってみる。しかし座布団がこの国には存在しないので、「クッション一枚」というのが精一杯なのが少し心残りだ。
前にスペイン人のとってもオレオレ(いけいけ)な女の子達に「日本語でさよならってなんていうの?」ときかれたので、「あばよ」って教えてあげました。「あばよ!」「あばよ!」と叫んで去っていかれました。それが彼女達を見た最後となりました。有終の美とはこういうことだと思いました。
以上です。