jeudi 26 mai 2011

きちんと冷静に書くとこういうことがいいたかったのだ

べつに今となっては(2週間たったし)どうでもいいことなのだけれど、今年のリベラシオンと映画監督のフュージョンが個人的にはあまり良いものには思えなかったと書いたと思う。それはなぜかというと、たくさんの人がカンヌ映画祭とそれにまつわるエピソードに終始してしまったということ。去年もカンヌの映画祭のころに発表されたかどうかは忘れたけど、あまりそういう状態にはなっていなかった。「見てないけど、ウディアレンの新作は見たくもない」(ゲディギアン。グゥエディグゥイアン?)とか「私の友人の作品が出品されています。うれしいです。」(ヴァルダ。べつにそれはそれでいいんだけど。ご友人に対して親切だとは思うんだけど。語弊のないようにいうと、べつに私はそのご友人に文句があるとかじゃ一切なくて。)とか、ポランスキーが「昔カンヌでフェリーニにあった!」とか。ポランスキーに関していえば、好きな映画監督なのに、これ読んでたらなんだか脱力。ポランスキーなんだから、ほかにいうことあってもよさそうなのに。と、すべては一読者としての個人的印象なので、えらそうに聞こえたら申し訳ありません。この特集全体に「カンヌと映画監督」という題名つけられてたら納得できる仕様だったと思うんだけど、季節柄のイベントが反映されすぎていて、ちょっとがっかりしただけ。

時事ネタみたいのもあったんだけど。

内容忘れちゃったけど(だから私のほうからは批評もなにもないです。内容忘れちゃったから。)、誰がかかれたかもおぼえてないんだけど、映画監督がやっぱりフクシマのこととかかいてるんだけど、なんつーか今年「フクシマ・モナムール」という表現を何度目にしたことか。。。この題名の本まで出てた。このタイトル目にするのは、今年で何度目か。デュラス生きてたら烈火のごとく怒ってたと思うよ。「私の作品はそういうことがいいたかったわけじゃない!」みたいな。

で、ふと思うのは、アランレネって、やっぱり(すでに知ってたけど)ものすごい勇気のある映画監督だったんだなあと。やっぱりすごいよなあ。彼の物事への向き合い方がすごいなあと。