dimanche 20 février 2011

「だれだ?」「お前のあんちゃんだよ!」「うそだ!」「うそじゃねーよ!」「本物のあんちゃんなら、おれの質問にこたえられるはずだ!1+1は?」「1!」「ああ、やっぱりおれのあんちゃんだ!」における意義

「1+1=1」で正解らしいですよ、フランスの哲学者によると。だからドリフのばか兄弟は、なにげに哲学者なのです。つーか、哲学者のほうがばか兄弟に属しているといったほうがいいのかは、わたくしには到底理解できる範疇ではございません。

というわけで、たこちゃんのお姉さんの叶ジェシカさんのお話。ジェシカという名前は、たまたま見た日本の雑誌に道端姉妹というのがいて、そのうちの一人が道端ジェシカという名前だったので、微妙なネーミングのすばらしさに感動したため。でも顔とか性格とか全然しらないので、名前だけです。



ベット・デイヴィスが映画で演じた人物ばりのビッチーなキャラとして登場します。作ったときは全然ベット・デイヴィスのことは考えなかったけど、八の字曲がりの唇とか、ちょっとだけにてるかも。顔とか全然似てないけど。叶家(お母さんのリリー白川含む)で、目が青いのって、たこちゃんとジェシカだけ。大体、めったにシムズで目が青い人ってつくらない。ペギーさんのコンタクトがそのままだと青いので、うっかり青いままにしてしまうとき(酒本裕美さんとか、でこちゃんとかあとで目の色を変更)もあるけど、かなり意思的に青いひとはいれない。入れるときはそれなりの理由がある。(モデルある人とか。)

というのも、前に知り合いの人の家で「おじいちゃんもおばあちゃんも、おかあさんも、おとうさんも、私も、私の旦那も、私の旦那の父親も、私の旦那のおかあさんも、私の息子達もみんなすばらしい目の青さ!」みたいなことからはじまって「みんな目が青くてきれいで私はとても幸せ!」のような(ちょっと強調してますけど、でもやっぱり結局こういうことだったんだとおもう)ということをおっしゃった方がいて、周りの人は目の青い人だけしかいなくて、目が茶色いのは私しかいなくて、全く悪意がなかったんだろうけど(ただ単純に自分中心で自分しか見えてないだけだったんだろうけど)、ごっつう居心地悪かってんで!たとえるならば、KKKの会合に間違ってきてしまった有色人種みたいな居心地の悪さ。「山猫のクラウディア・カルディナーレと同じ目の色で私は幸せです(いやまじで、クラウディアと同じ目の色で満足よ。茶色でも幸せよ。)」とか、反対に自虐的に相手を喜ばせるために「先祖も目が茶色くてもうのろわれた家系ってかんじ!orz、欝出し脳。。。」とかそういうこといえるような立場ではなかったので、ただどんびきして黙ってました。周りの人は、「ここに茶色のやつがいるよ!あまり暴走しちゃだめだよ!」というためだったのか、「激しく同意!青い目こそすばらしい!」というためだったのか、ただへたれなサレンダーモンキーだったのか知らないけど、やっぱりリアクションもなくただ沈黙。悪意一切なかったんやろけど、ごっつ居心地わるかってん!

だからといって、青い目の人嫌いというわけじゃなくて、知り合いの女性の先生とか、髪の毛が黒くて、目がとっても大きくて、とことんうす青くて、イザベル・アジャーニばりのすばらしい色のコントラストには、超人的でただ「ブラボー、参りました!」と感動せざるをえないです。しかも先生、とっても気取りがなくて良い人だし。(つまるところ、結局これですよ。性格が大事です。性格良くなければ、ほかのエレメントを賞賛することは難しいんです。)

というわけで、地球上の何億人の青い目の人に一切憎しみとかないんです。ただそういうことがあったので、ジェシカさんは、目が青くて、金髪でそれを誇ってるような高ビー(死語)で自己中なおねえちゃんという人物像が投影されています。あ、あと叶姉妹のすばらしく創作された性格も影響されたのはいうまでもないです。(演じられた高飛車な態度って素敵!)

当時、awesomemod が入っていたので、「アホ」というう性格がなぜか選べたんですよ。で、速攻たこちゃんとジェシカにもいれました。金髪碧眼でしかもアホ!ステレオタイプそのものなんですけど、たこちゃんはアホなりにも哲学的な建築家になるにいたったので、お許しください。(今はオウサムいれてないので、「アホ」が選べなくなってしまったたので、たこちゃんはぼんやりさんに変更。ジェシカはアホじゃなくなったため、さらに傲慢に。)


現在のジェシカさんのお部屋。





「豪華な家にも住んでるし、わたしは勝ち組よ!」的高笑い。

前まで浜辺にほったて小屋たてて、屋外にベッドおいて、粗大ごみと一緒に寝ていたくせに。。。