夜露死苦!(ようつべでドラマ「茜さんのお弁当」をみてから、80年代的不良暴走族のしゃべり方が妙に気になる。。このドラマについて、というか、八千草薫さんの演技について、ちょっと書きたいことあるんだけど、それはまた別の機会に。)
「茜さんのお弁当」って、1982年ころのTBSドラマだそうです。当時問題になっていた、ものすごい頭(パンチパーマでリーゼントとか)で、無免許で暴走族の一員になってる子とか、そういういわゆる「不良」を雇うことになった、八千草薫さん演じる、お弁当屋(工場っていったほうがいいかも。ドラマの中でも正式名としては給食センターって書いてあったようなきがする。)茜さんのお話。音楽は横浜銀蝿が担当して、不良達のお兄ちゃんとかそういう悪いかっこいい役ではなくて、ドラマの真ん中に「デビュー前の売れないバンド」役としてでてきます。ちょっと情けなくて良い感じ。
大かれ小さかれレベルは毎回違えど、不良の子たちは問題を起こして、茜さんとぶつかったり、理解しあったりっていうお話。とてもいいドラマなので、ようつべに残ってる間にどうぞご観覧あれ。社会の問題を提示して、ペシミスティックというか、リアリスティクというか、これらの社会問題が引き起こす結果をしめすために、つまりは未来へのための啓示のためにアンハッピーエンドに終わるドラマとか映画とかも、もちろん必要だとおもうんですけど、人間がぶつかりながらも解りあって、「なんとなく」幸せな結末を終える作品がやっぱり自分は好きです。ものすごい幸せじゃなくて、「なんとなく」幸せみたいな。これを現実から目をそむける気休めと呼ばれる方もいらっしゃるとは思いますが。
シナリオ関連は実際に見ていただくか、他の詳しいレビューサイトさんに飛んでいただくとして、ここでは女優さんのお話をします。で、ですね、茜さんを演じる、もえたん似の八千草薫さんが実に良いのですよ(失礼いたしました。すみません。もえたんのほうが、八千草さん似なのです。)ようつべにアップされている第四話から最終話(たぶん12クールだったとおもいます)まで、夜中ぶっとおしで見て、八千草さんの演技の真骨頂を強く感じました。たとえば、「間」のとり方がじつにいいんですね。それはまなざしを送る間とか、表情とか、相手とせりふとせりふの間とか、モノローグにおいての言葉の間とか。演劇学校とかでは絶対に習わないであろう、天性のもの。だから台詞回しとかに凝った俳優さんが同じ画面に出ると(草笛光子さんとか、長山藍子さんのことがいいたいわけではないです。彼女らの個性的な台詞回しは聞いてて気持ちがいいです。二番手、三番手に出てくる俳優さんとかの演技方法のことを問題にしています)に出てくると、それはそれで正解で、観客に有益に心情を伝えるアカデミックなテクニックなんだろうけど、「リアルな間」にはおよばなくて、これは演技で、これらはフィクションなんだと、うそ臭く感じられる。大体、日本語って、システム的にべらべら雄弁に語れないじゃないですか。ブツ、ブツって切れるじゃないですか。一文すべてを語るときに沈黙のほうが多いときもあるし。でもドラマとかになると、シェークスピアのように語りだす不思議さを感じたことはありませんか?八千草さんの演技を見ていると、人物がいかに自問というか、躊躇というものをしながらその場に存在するというあり方を感じます。
ある回で、不良少年達が、茜さんのうちで夕食を食べながら、彼女にこう尋ねます。「なんで社長(あかねさん)は、こんな俺達にも優しくしてくれるんですか?」と。他の少年が「そうだ、そうだ、なんでなんで?」とはやしたて、別の子は「社長は俺達のこと愛してくれてるんだよー!」とふざけながらも真実を言います。そのときの八千草さんのリアクションが実に良いんです。まず躊躇の表情。「これって愛なのかしら?自問したことさえなかったわ。。」と、困惑の表情。「あなたたちのことは好きよ。大好きよ。。。。。。。。あなたたちは問題のあった子で、良い子っていうには遠かったけど。。あなたたちのこと、すきです。。。だって・・・ほら・・・・・・毎朝早起きして、一緒にお弁当つくるでしょ・・・一緒にはたらくでしょ・・・・・ほら・・・・こうして一緒にごはんたべるでしょ・・・・・・あれでしょ。。。。ああ、(むずかしくって)もうよくわかんない!」と、いかに彼女が彼らを愛しているかと説明することを微笑みながら投げてしまうあかねさん。みんなも同時に微笑む。シナリオ自体が既にすばらしいと思います。言葉で説明しきれないことってあるじゃないですか。なんでもシナリオに書けばいいってわけじゃないじゃないですか。あきらかにわかりきったことより、無駄なこと書いたほうがいいってこともあるじゃないですか。
このシーンにおいて、八千草さんはまるで一言、一言、その場で自分でせりふを考えながら発しているかのように見えます。現実に「なんで俺達不良少年みたいなのこと好きなの?」みたいなこときかれたら、こんな感じだと思うんですよね。あまりにリアルなので、思わず「これは『秘密と嘘』でマイクリーが使った演出方法がなされているのか?」とさえ考えました。つまりシナリオが一切なくて、ただ撮影前に「このシーンにおいて、不良少年達があなたになにかしら質問をするので、あなたはどういったリアクションをとりますか?」という、主要な俳優には一切なにを質問されるとかとか知らされず、その場でおきたハプニングというか、生の俳優のリアクションを優待する演出方法のことです。TBSドラマだし、スポンサーとお金とかそういう問題もあるし、スタッフのスケジュールとかあるから、そういうリスキーなことはされなかったと思うので、これは純粋に八千草さんの演技の真髄といったところだと思います。躊躇したり、困惑したり、自問したり、他の人に目をあわせてるのが恥ずかしいのか、下を向いてしまったり。。。あと、このドラマだけじゃないですけど、他の作品でも、八千草さんは演じるキャラクターが「無知であるということ」ということを肯定する感じで演じらるのがとても好きです。無知って書きましたけど、何も知らないというレベルじゃなくて、「いいたいことがみつからない」とか不器用さとか、ぼんやりしているとか、そういうことです。大体の人間は無知なのに、(周囲が怖いからか)頭良いふりするのすきじゃないですか。無知でありながらも芯がある人間像を、八千草さんは演じることに長けていらっしゃると思います。
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5年くらい前に、八千草さんと時任三郎(だったと思います)が共演した映画を、たまたま日本に帰る飛行機の中で見ました。八千草さんが、おい病気にかかったお母さん役で、時任三郎が、お母さんを自分で(重い病気なので、それまでいた病院がリスクを負うのをいやがったとかそういう理由があったと思うのですが、間違っているかもしれません)遠くの病院まで運んでいかないといけないというお話。お涙頂戴的で、大体、八千草さんが病気のお母さん役なんて、正直、あんまり見たくなかったのですけど、最終的に(あるシーンで)八千草さんに泣かされてしまいました。
無知っぽいお母さんは、実は無知じゃないんだよね。芯があるんだよね。子供(といっても、とっても大きな時任三郎)がおなかすいてるんじゃないかって思ったら、「おかあちゃん何か食べる?」ってきかれて、おなかすいてなくても車の中でつらくても「うん、ご飯食べようよ。」って。あとで時任三郎がきづくの「おかあちゃん、おなかすいてなかったんだね。。。こうやって、いままでもおかあちゃんは、自分が別におなかすいてなくても、俺にそういうこと気づかせずに、ごはんたべさせてくれたんだなあ」って。シナリオのせいで泣けたんだろ!っていわれるかもしれないけど、そうじゃない。やっぱり八千草さんがよかったんだとおもう。私事だけど、家にかえって母にこういうのみたら泣けたといった、「あっそう」とやっぱりそっけなくいわれた。その年、私が最後に母の手料理とか食べた年になった。母はまだ生きているし、少しずつ歩けるようになったけど、もう前みたいに手料理をつくってもらうことって、ないんだろうな。料理は下手だし、デコレーションは最低だったけど、そんなものでも愛らしいものだったのだなと胸をしめつけられる。私事で恐縮でございました。あの映画、タイトルさえ思い浮かべられないんですけど、懐かしく思い返されます。