samedi 26 mars 2011

吉田君のユニバーサルなひとこと「上司にやれっていわれたんです。上司に。」

いまさらながら、「日本人はみんな一様に耐えているのは素晴らしいけど、みんなが同じ態度してるようじゃ、個性とか個人が良い意味にも悪い意味にも消えていく。まあ、そんな文化なんだよね。」みたいな文章に出会った。ちょっと前には「われわれのスモーとかスシとか、日出ずる国に対してのステレオタイプなイメージは、今回の地震によって消え去った!」って書いてるのに。

いや、学校とか会社とかのシステムの中で、集団性を大事にするために、個性が発揮されないっていう結果も、たしかに間違いじゃないとは思うし、私は高校(集団生活できない基地外しかいない芸術学校。みんなおかしかったので、みんなとても仲が良かった。)以外は、そういうシステムがあまり好きになれなくてつらかったっていう経験もあるから、この書き手さんに反対の意を示すことはしたくはないのだけど、でも集団性を守れる人達でも、ひとりひとりをみたら個性ってやっぱりあるよと申し上げたい。ツィッター見れば一目瞭然。素晴らしい個性の集まり。その上で集団性を守れる素晴らしい人達。(私はそういう才能にちょっと欠けちゃっているのだけど。そんな自分が嫌だなあと思うんだけど。でも小さいころからダメだったんだよね。なんかぽつーんと。)でも本当に非常時になれば、ラテンなフランス人だって我がままとかいえなくなるとおもう。

でもフランス人も集団性を大事にするあまりに個性を殺す人達だっているべさ。市庁舎の前で、24時間ぐるぐるおしゃべりしながら円を作って回っていた大学の先生達。こういうお祭りが好きな人とか、政治的なことで本気で泣きわめきながら(それもやばいな)参加していた人もいるとおもうんだけど、元恩師とかは上司にいわれてやってきたと見えて、後々の出世にひびが入らないようにするために、ほんとはそういう集団的なことが嫌い(前にそういうことご自分でもいってたし)なのに、嫌々ながらもぐーるぐーるまわっていたりしていた。ま、個性って国籍関係ないっすよ。それぞれが個性あるんですよ。個性がなくなるなんてありえない。集団性を大事にするか否かは個性と関係ない。個性を一時的に押し殺したり我慢したりしないといけないこともあるけど、個性が死ぬことはありえない。

しっかしフランス人、アメリーノトンブが(新型iぽっど並に)大好きだな w
別にいいけど。